伝統文化
多南くひ阿は勢 <たなくいあわせ>
たなくいとは手拭の事で、
天明四年(1784)山東京伝が開催されたとする手拭の展覧会。
「てぬぐい合わせ」は手拭の世界に観て楽しむ分野を
初めて試みた画期的な催し。
当時の粋通人が趣向を凝らした手拭の図柄を競う風流な遊びで、
上野不忍池畔において行われた。
出品者の中には、松江の風流大名 松平雪川、
光琳派の画人としても著名な 酒井抱一、鍬形蕙斎、
喜多川歌麿、五代目 市川團十郎、
等々そうそうたる人物の中に、芸鼓や町民、
当時14歳であった京伝の妹よねまで。
身分制度の厳しい江戸時代にこのような
展覧会をやってのける京伝の趣向、
出品デザインの面白さは驚嘆といえます。
始祖京伝翁の衣鉢を拝して、それに続く先達の足跡を偲びつつ、
先代が半世紀かけ復刻したてぬぐい合わせ。
江戸、昭和、平成、令和、
ふじ屋三代で繋いだ「てぬぐい合わせ」の数々。
ふじ屋 染絵手拭の世界を御笑覧いただければ幸甚です。
川上桂司
川上千尋
川上正洋
手拭の歴史
手拭の歴史はとても古く、
奈良時代・平安時代から原形が存在し、
主に神祭具として使われていました。
当時は、庶民は麻の手拭を、
高貴な方は絹の手拭を使ったと言われています。
江戸時代に入ると綿の栽培が盛んになり、
綿の手拭が広く庶民の必需品になっていきました。
現代で言うところのタオルやハンカチの役割を担っていた手拭が、
歌舞伎や江戸の文化とも相まって、徐々に様々な絵柄が出てくるようになり、
「お洒落なもの」として持ち歩く人も増えていきました。
この頃から、神祭具としての「冠り」から、
「被り」としててぬぐいが「自由に」使われるようになります。
農作業や往来の鉢巻き。
歌舞伎役者や噺家、力士などが、
贔屓筋や客に名入りや自身を表す
紋の入った手拭を名刺代わりに配る。
商家ではお年賀やお歳暮、
お中元などに名前入りの手拭を配る。
お年玉など時節や節句の
縁起物として贈る。
大入りや興行の景気付けの祝儀、
見舞いの返礼品として配る。
手拭掛けに思い思いの柄を飾る。
神祭具から日用品、
そして贈答品やお洒落として、
文化や人々の生活にあわせ、
人々は「自由な発想」で
手拭を使っていったのです。
江戸時代に入る直前、
かの明智光秀の娘・明智玉子(細川ガラシャ)が細川家に嫁ぐ際、
明智家の桔梗紋と細川家の九曜星の紋を入れたてぬぐいを
嫁入り道具として持参したというエピソードも残っています。
この手拭は、藍と柿渋を使って見事に染め上げられており、
現存する日本最古の紋様染め付け手拭と言われています。
また、玉子自身が染色に関心が深く、
一度着古した衣装の上から新形を染め付けて
新たな衣装として更生していたという逸話も有り、
その故事にならって、てぬぐいの世界では、
型紙を何遍にも重ね多色染めをすることを「細川」と呼んでいます。